朝のベンチとテーブル

対人援助の仕事と日々

欲鬱

四半世紀を超えて生きていると、何か楽しみたいのに何も欲がわかないのが辛い、という風になっていることが時々あったりする。

 

アペリティフとかアペタイザーとかいうものがあって、食欲をかきたてるものであり、軽めの酒とか前菜だったりするらしいけど、さあ大いに食べるぞ、という前に欲がくるくるとよく働くように弾みをつけてくれるものを口にするわけである。

 

若いときは、そういうものの必要性が実感としてわからなかったような気がするのは、おでこのあたりに産毛とか綺麗さっぱり無くなって、え、いつの間にこんなに額が後退してたのこのままはげちゃうの、とかいう30前のたじろぎとか、つかの間の不安みたいなものが、まあ幸いにも取越し苦労で終わって、うちははげの家系じゃないからな、とか安心したりしていたのもすっかり忘れて過去のエピソードと化した40前の一時期に、そういえばアペリティフとかアペタイザーとかいうものの必要性がわかってなかったな、と思ったような記憶の感触がおぼろげに漂ってきたりするからである。

 

若いときは、などとと一般論にするべき事でもないかもしれないが、勝手にフル回転していた欲が、加齢につれて、なかなか弾まなくなるなんてことは、ありがちな、月並みな、よくある、ありふれた、事かもしれない、というか、面白くもないそこらに転がっているような歳くったなという感慨である。

 

去年あたり、音楽も、映画も、マンガも、アニメも、あんまり楽しくないなあなどと思うことが続いた。

 

そういう、欲の車が弾まないような状況は、重たく、息苦しい。

 

まあとりあえず、欲の流れが兆したら、ちょっと気前よく小銭を弾ませておくのが良いようで、ケチケチしないでKindleでマンガ買ったり、iTunesで曲買ったり、している。

まあ、たいした収入もないので、もともとのケチな性分が、節約しないといけないような気分こそ正義、みたいにからみついて、きがつけば息もつけなくなるようなことになる情けなさを察して頂きたい。

 

ブログに饒舌気味の作文をしたりするのも同じようにで、表現欲のドライブが、次の欲をくみ上げる呼び水になってくれたら、と思ったりしている。