常套句
処暑/北風
職場の先輩(ちょっと年上の女性)で、日頃、入居の方とすれ違うたびに、一言二言声を必ずかけるような働きぶりの人がいて、「今日は北風だって」と言っていた。
「それは寒いでしょう。」
とわりと自立度の高い男性入居者さんが応じる。
「寒いなんて、まだ八月ですよ。すずしいの」
なんて言っている。
夕食がおおよそ片付いて洗い物をしていると、テレビから、「今日は処暑です、暑さが収まる日です」と聞こえる。
帰り道、思いのほかすずしい、肌寒いくらいの風が強く吹き付ける。風の音にぞおどろかれぬるという風は、こんな風だったのだろうか、とか思う。
あれ、でも立秋はもう過ぎてるよな、と調べてみると、件の和歌は立秋の歌なのだそうだ。
立秋の風はどういうのなのか、平安時代の気候と暦は現代とどう対応するのだろうか。
そういう考証についていろいろな専門家の話をちょっと聞いてみたい気もする。
ともあれ、見上げると、秋めいた空模様が、さやかに見えるこのごろだとかなんとか言っても良いかもしれない。
ツイッターからちょっと離れて
テレビと体操
基本を学んだ後で
ちょうど1年前の今頃は、毎週1日、専門学校に通って、介護従事者初任者研修の授業や実習を受けていた。
そこで学んだ基本の事を、日々の業務に追われる中で、つい忘れてしまって、場当たり的に働いてしまっていたんだな、と思わされた。
シフトの都合などが重なって、たまたま、一人で対応しなければならない時間が多くて、自分が思うがままに、ある入居の方に自分なりに向き合う事ができて、もの盗られの訴えから、傾聴を重ねて、話題をそらし、楽しい思い出の回想の語りをしっかりしてもらった上で、集中して一人でできる脳トレのプリントをやってもらうみたいな流れを作る事ができた。
ワガママで、すぐ喧嘩を起こしがちで、服薬に関わる不安の訴えをしつこくするので、職員の多くが対応に苦慮してきたその方が、穏やかに1日を終えて、すんなり寝て下さった。
こういうの、bpsd に対処する基本だったと思いあたる。ICFに則った介護過程の展開をしっかりやって、その通りにチームケアできていれば、良好な経過を維持できるって事だよね。
教科書通りの基本を、職場で具現化すれば良いのだった。
まあ、その基本に忠実に、という事を、経験も経歴も違う人たちで、足並みそろえて実行するためには、並みでない大人力が必要という事なんだろうけど、基本に忠実であれば良い結果が出ることには違いはない。
そのための必要最低限の制度的なベースは、整備されているのだった。
基本に忠実な姿勢を貫くこと、そこを疑わなければ、それで良いのだ、と思えた。
この先の長い道を進むための指針として、単純であって、手放さないためには、これで十分。
そういえば前の職場では書道があった
グループホーム(認知症高齢者対応)で働き始めて数えてみると、もうそろそろ二年というところ。
最初に勤めたところを、引越しの必要からやめて、次も、半ばなりゆきでグループホーム勤務になった(会社も移った)。
介護保険法が成立するころには、反対する人の話を聞いたりもしたけど、介護保険法の現状はともかくとして、それなりにこれで救われるひともけっこうな数居るんだろうな、と思ったりして働いている。
自分が入っている現場も、ぎりぎりのところでまわしている感じは否めないけど、それでも、ある程度ましな部類に入るのではないかと思う。
前の職場では、入居されていた方のご家族が、月に一度書道教室をやりにきてくれていた。
認知症が進んで、自分の名前を書くのも難しい方もいた一方で、それほど悪くなくて、綺麗で立派な字を書く人も居た。
その教えにきてくださっていた方が、「季節にあわせた言葉を選んで書いてもらっているから、古いのを壁に貼ったままにするのはやめにして欲しい」、とおっしゃっていたのを思い出す。
習字を始める
先日、近所の習字教室に、行ってみた。
初回無料の体験コース1時間。
中学生の頃、授業でやって以来、筆を手にとった。
鉄筋二階建ての民家の一部が、教室として設計されていて、本棚には書道のほか、古今東西の美術全集の類が並んでいて、研究室っぽい。
やたらほめてくれる先生。初老の気さくな女性。
先ずはお手本無しで書いて下さい、という指導法。
初めからお手本通りでは、お手本無しで書けなくなる。脳科学的にも、使うところが変わるらしいから、などとおっしゃる。
値段も納得できるもので、自由に予約できるのも好都合なので、続ける事にした。
言われるがままに、近くの書道道具専門店で、お値段安めの道具を最低限揃える。
引っ越して半年少しすぎた。
近くにこんな書道道具専門店があるとは知らなかった。
書道教室がやたらと多い界隈だと思ってはいたけど。